沿革HISTORY

 出光佐三(イデミツ サゾウ)氏は出光興産株式会社の創始者として知られていますが、最近では歴史経済小説「海賊とよばれた男」(百田尚樹著 2012年 講談社)のモデルとしても話題になっています。(同書は2013年第10回本屋大賞受賞、2014年1月現在上下巻累計170万部のベストセラー。)

 出光氏は1885年(明治18年)に福岡県で生まれ、1981年(昭和56年)95歳で没しています。

 神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業後、同級生が銀行や商社に就職するのを横目に、石油や小麦粉を扱う社員数名の小さな会社に就職し、1911年(明治44年)25歳のとき家庭教師先の資産家に資金提供を受け独立、出光興産の前身となる出光商会を興しました。

 出光佐三氏は幼少の頃から病弱なうえ、高等小学校2年のときに、目を傷つけてしまいます。草の葉で瞳孔を突き、そこから悪性の菌が入ったのです。
 これにより白内障を患い、極端に視力が弱くなりました。

 出光氏は眼科の良医を求めて長年苦しんでいました。
1973年(昭和48年)、87歳になった出光氏は、黒色白内障(※1)を悪化させ、この時の視力は0.0に近く、ご飯のおかずさえ、懐中電灯を照らして、眼鏡をかけた眼をくっつけて見ねば見えぬほどであり、早晩、失明は免れないとみなされていました。
 このとき診察に当たったのが、当時白内障の第一人者といわれていた慶応大学の桑原安治教授(※2)です。桑原教授は、水晶体が白かったらなんとかなるが、これではどうにもならないと告げ、最後の手段として電気で網膜を洗い直すという治療法を考えました。
 しかし、新しい方法だから失敗の恐れもある。失敗すれば完全に視力を失います。
 「どうなさいますか」の問いに対し「手術をしてください」と出光氏は即答したそうです。

 かくして手術は成功しました。
 術後、出光氏が初めて見たのは看護師の衣服で、その後シーツに目を移しました。
 これを見た出光氏は思わず感嘆の声を上げたそうです。
 これほどに看護服やシーツが白かったとは知らなかった。小学校のとき視力を半減して以来、失っていた世界が戻ってきたのです。

 その後間もなくして、1975年(昭和50年)、出光氏の呼びかけにより、当財団の前身となる白内障研究所が誕生しました。初代理事長は出光佐三氏、常務理事は桑原教授です。

 それから44年、医療は飛躍的に進展を遂げ、白内障は大きな脅威ではなくなりました。当財団はそうした現状に合わせ、視覚健康財団へと名を変え、眼科医療全般の振興や視覚についての啓発を行う団体へと活動の幅を広げることになりました。

※1. 通常の白内障は白色か白黄色ですが、進行すると茶色、さらには黒色になります。黒色白内障はまさに最悪の状態といえます。

※2. 桑原安治(くわはらやすはる)。慶応大学医学部眼科教室第3代教授。1962年4月〜1973年3月在任。桑原教授が出光氏の治療にあたったのは1973年2月のことでした